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日韓関係の将来ー朴大統領の演説に思う [日本の未来、経済、社会、法律]


 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は2015年3月1日、ソウルで開かれた3・1独立運動記念式典で演説し、「日本が勇気を持って率直に歴史的真実を認め」るように望むと述べました(産経新聞2015年3月2日付)。昨年の演説では「過去の過ちを認められない指導者は新たな未来を開くことができない」と述べていました。

 韓国はかねてからこのように「歴史を忘れた民族に未来はない」などと述べて日本を批判してきましたが、日韓間には「竹島不法占拠問題」「従軍慰安婦強制連行問題」「教科書歪曲問題」という3点セットの歴史問題があり、韓国はこれらを同国が望むように解決することが「歴史的真実を認め」ることだと主張しているわけです。

 しかし、あらゆる歴史的史資料が韓国の主張とは反対の事実をしめしており、「歴史を忘れた民族に未来はない」のは韓国自身のことであると主張する日本にとって、日韓国交正常化50年の2015年を区切りとして「より成熟したパートナーとして韓日が新たな歴史を築いていくことを望」まれても対応するすべはありません。 

 とはいっても、隣国同士であり、経済関係を初めとして観光から学術交流まである両国の関係がこのままの冷たい、相互不信を募らせる関係であって良いとは言えないでしょう。

 

    それでは、どうすればよいでしょうか。名案はありませんが、さしあたり、欧米諸国においてよくみられる考え方、すなわち国家・政府と個人とを分けて考え、個人関係においては両国市民間の関係をできるだけ維持し、発展させるとともに、国家・政府間の関係については徹底した相互の主張を闘わせて国益を追求していくことが必要ではないでしょうか。まず、「従軍慰安婦強制連行問題」については歴史戦、外交戦、法律戦ということになりましょう。次に「教科書歪曲問題」ですが、これは歴史戦、思想戦で、いわゆる「植民地支配」の実態解明と評価もその中核的問題として検証が必要となりましょう。

 さらに「竹島不法占拠問題」については、これは実態としてはすでに日本領土に対する軍事侵攻が行われていると認識されるべきもので、北方領土問題と同レベルの問題としてとらえる必要がありましょう。この問題の行き着く先は、英国とアルゼンチン間のフォークランド島紛争のように軍事力の衝突により決着をつける事態となる可能性も十分ありますが、米国の干渉・仲介によりできる限り回避されなければならないでしょう。なぜならば、現状において日韓両国には同一陣営内で抗争をしている場合ではない共通の脅威が常在するからです。

 

   以上の諸問題に係る歴史戦、思想戦、外交戦、法律戦、武力戦には経済戦、科学技術戦も深く関わるでしょう。一方で手段を択ばない形で外国も巻き込みつつ激しくぶつかり合い、歴史戦等を闘いながら、他方ではモミ手で商売を行い、さらには技術ライセンス契約も結ぶといったことは日本国内ではありえないことで、そのようなことが国際関係においては可能であるとも考えられないからです。

 

 そもそも今、日本と韓国の間に存在するのは「国益の衝突」です。たとえば「従軍慰安婦強制連行問題」で韓国が求めているのは「法的謝罪」であり「経済的賠償」です。決して日本人の「勇気」や「率直さ」といった個人レベルの倫理・道徳感の発露・表明ではありません。歴史的「真実」もcross examinationを経て確定された証拠に基づく事実関係を前提とするものではなく、韓国がこれが「歴史的真実」だといったものを日本が「はい、そうです」と認めよというだけのもので、決して対等な国家間の関係を前提とするものではありません。したがって、「日本が勇気を持って率直に歴史的真実を認めるように望む」といった情に訴える言い回しは方便であり、交渉術の一つにすぎないと理解されるべきものでしょう。

 

     以上のような基本的理解に立ったうえで両国は、まず次の二点を行ったらどうでありましょうか。

 第一点は、1965年の日韓基本条約、請求権協定を両国において再度精読することです。ここに第二次大戦後の日韓関係の戦後の出発点が凝縮されています。同条約の目的、内容を確認したうえで、同条約の韓国経済と韓国社会のその後の発展に果たした役割の実証的検討を行うことです。

 第二点は、「竹島不法占拠問題」「従軍慰安婦強制連行問題」「教科書歪曲問題」という3点セットの歴史問題について、それぞれの主張の根拠となる史資料の提示と評価を、政治的主張とは切り離して、行うことです。

  これら二点は、おそらく行いえないでしょう。そうであれば、おそらく両国において唯一なしうることは、日韓関係を「法の支配」の原理のもとにおき、両国関係に係る国際条約・国際協定の解釈・運用により両国関係を今後律していくという未来志向の態度をとることで合意することでしょう。 日本も韓国も「法治国家(a state ruled by law)の理念を掲げた国であり、司法権の独立を誇りとしている国ですから、これは可能なのではないでしょうか。その場合 には、現状においても韓国は「従軍慰安婦強制連行問題」について「法的謝罪」を求めているわけですが、これを日韓基本条約、請求権協定上の紛争処理規定により日本政府に請求することが筋となります。これを日本政府の「勇気」や「率直さ」によって行わせようとするのは、それらによって条約の条文解釈を変えることは出来ないので、道義上ないし人権意識上からするお詫びなどは別として、筋違いということになります。

 

 最後に一言すれば、ビスマルクの言という「経験に学ぶものは愚かであり、歴史に学ぶものは賢い」という言葉は、日韓関係においても有効ではないかと思えます。

  

   三十年戦争を終結させたウエストファリア条約が今日の西欧諸国家関係を作り出したように、世代から世代に受け継がれる激しい国家総力戦の果てに日韓両国間に妥協の時が醸成され、和解の時が来るのではないでしょうか。韓国のよく言及するドイツについていえば、独仏間における1958年のEEC(欧州経済共同体)結成の時の両国関係はお互いに「そこにあるから、しょうがない」という諦観から出発するものでした。決して理想に燃えていたわけではありません。千年を超えて戦い続けた両国、特にフランスはドイツとの戦いに疲れ果てていたのです。パリからドイツに向かって放射状に伸びた道路はすべて一直線で、フランス軍が、ドイツ軍がパリに到達するよりも一刻でも早くライン川に到達するためのものでした。そして今でも、ライン川沿いのドイツの街にはフランスを向いた普仏戦争の戦勝記念碑が誇らしげに建っていますし、フランス側には空堀で戦車をくい止めようとする要塞群がその姿をとどめています。互いに用心は怠っていないということでしょうか。


 ともあれ自力で、韓国が豊かな経済社会を作り上げ、世界に冠たる法治国家を築き上げ、国際社会のリーダーとして西側諸国の尊敬を集める日の来るとき、日韓に和解の時は来るのではないでしょうか。その時の来るのが百年を超えるものでないことを、密かに願わざるを得ません。

追記 

2016年も「3・1独立運動」記念日が巡ってきました。朴大統領は、加害者と被害者の歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらないと言って慰安婦問題で日本に一方的譲歩を求める従来の立場を横において、「歴史を直視する中で互いに手を握り、新時代を切り開くことを願う」と未来志向の日韓関係を強調しました(2016年3月2日付読売新聞社説「「反日」から協調重視に転換か」)。「歴史の直視」は変わりませんが、「互いに手を握り、新時代を切り開く」、すなわち元慰安婦を支援する財団の韓国による設立と日本のそれに対する10億円の拠出などを内容とする昨年暮れの「日韓合意」を着実に実行することを求める内容です。

日本政府はこの10億円の拠出という約束したことは誠実に実行することは当然ですが、そのことは日本大使館前等の慰安婦像の撤去や外国での「慰安婦プロパガンダ」の中止などを意味するものではないでしょう。もし韓国政府がこれらの点を含めて日本との間で本当に「新時代を切り開く」というのであれば、1965年の日韓基本条約の精神に立ち戻って、それを再確認するところから始めるものでなければならないことは自明です。国としての関係はこの条約によるものでしかないのですし、これまでの壊れた関係の修復には壊れるに至ったのと同じだけの時間が必要だからです。


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