SSブログ

「従軍慰安婦強制連行」は法的に可能か―秦郁彦氏ら米教科書出版社に訂正求める声明に思う [日本の未来、経済、社会、法律]

ドイツの教科書が「日本占領地域で20万人が売春強いられた」と記述している(産経新聞2015313日付)、アメリカの教科書が「日本軍は強制的に募集、徴用した」「人数は20万人」「年齢は14歳から20歳まで」「慰安婦は天皇からの贈り物」「大半は朝鮮及び中国の出身」「毎日2030人の男性の相手」「兵隊らと同じリスクに直面」「多数の慰安婦が殺害された」等と記述している(産経新聞318日付)といった報道が行われています。アメリカの教科書について秦郁彦氏らが同教科書出版社に事実関係の訂正を求める声明を出しました(産経新聞318日付)。そこで、日本占領地域で20万人が売春を強いられたといったことが、日本軍の「慰安婦」制度のもとで可能であったか否かについて当時の法律との関係で少し検討してみることにしましょう。

 

(1)慰安婦制度と関連する法令

 

「慰安婦」制度には二つの目的がありました。第一は「兵士の戦場での強姦を防止する」目的であり、第二は、兵士が性病を患えば戦力の低下となるので、そのような事態を防ぐ目的でした。慰安婦のいる慰安所は戦場における各師団毎に設置され、師団の移動に伴い、慰安所も師団所有のトラック等を用いて移動しました。また慰安婦には、軍医による定期程な健康診断・治療が行われていました。

 

慰安所が戦場や占領地における各師団毎に設置される一方で、戦場や占領地での軍人による強姦は厳しく禁止されていました。陸軍刑法(明治41年法律46号)は、陸軍軍人が占領地において「刑法又は他の法令の罪を犯したるときは之を帝国内に於いて犯したるものと看做す」と規定していました(同法4条)。これにより第一に、刑法の禁ずる「強姦の罪」は占領地における陸軍軍人に適用されました。刑法177条は、暴行または脅迫を以て13歳以上の婦女を姦淫したものは「強姦の罪」として2年以上の有期懲役を科すと規定していました。第二に陸軍刑法86条は、戦地または占領地において住民の財物の略奪を禁止し、略奪の罪を犯すにあたり「婦女を強姦したるときは無期又は七年以上の懲役に処す」と規定していました。

 

このように戦地または占領地における陸軍軍人による強姦は禁圧され、その他にも、人(未成年者を含む)の営利、猥褻(わいせつ)、国外移送等の目的による「略取及び誘拐」(刑法224、225、226条)、「監禁」(刑法220条)が厳しく禁圧されていました。

 

これら法令を自ら遵守し、また兵士 に遵守させることは将校に厳しく求められており、陸軍士官学校においてもそのための教育が行われていました。将校は、戦地または占領地において縦10センチ横7センチ厚さ5ミリの小冊子による「陸軍刑法、陸軍懲罰令」を作戦要務令等と並んで携行していましたし、法令違反が発見された場合には憲兵が捜査に当たり、処罰のために軍法会議が開かれました。

 

陸軍軍人による強姦、誘拐、監禁に係る法令違反がどの程度あったのか、その全体像はあまり明らかにされていないように思われます。何件かの法令違反事件は報告されています。日本陸軍における法令順守の実態については、文芸作品、たとえば五味川純平「人間の条件」、野間宏「真空地帯」、澤地久枝「雪は汚れていた」等からある程度推し量れます。

 

なお、「従軍慰安婦強制連行」問題では朝鮮半島での慰安婦問題が焦点となっていますから、その点について触れておくことにしましょう。明治43年(1910年)822日を以て大韓帝国は日本に併合され、その国民は日本国籍を持つこととなり、同地域の呼称は韓国から朝鮮へと変更になりました。そこで両地域間の法令調整のために「朝鮮に施行すべき法令に関する法律」(明治44年法律30号)が制定されました。同法において、朝鮮において法律を要する事項は朝鮮総督の命令で定めることができるとされ(これを「制令」といいます。)(1条)、既存の法律の全部または一部を朝鮮に施行するには「勅令」をもってするとされました(4条)。この結果、刑法については明治454月の制令11号「朝鮮刑事令」において内地の刑法、刑事訴訟法等刑事関係重要法令が朝鮮にも施行されることとされました。但し、殺人罪、強盗罪については旧韓国の「刑法大全」が引き続き適用されることとされました。大正6年にこれら両罪についても刑法が適用されることとされました。従って、朝鮮半島内における強姦、誘拐、監禁は刑法により禁圧されるもので、陸軍軍人によるものであってもなんら変わるものではありませんでした。

 

 (2)慰安婦の募集と契約関係

 

慰安婦は軍の意向に沿って募集されました。慰安婦の募集は、すでに遊郭で働いている婦女に対して行われ、また一般に新聞広告で行われました。

 

当時日本内地では、多くの女性が吉原をはじめとする遊郭で働いていました。これらの女性の最大供給源は北東北日本でした。地主・小作制度のもとで、冷害があると東北の貧しい小作人の家では娘が身売りをさせられました。娘たちは年季奉公を済ませると家に帰りました。多くの女性たちは、その給金をこつこつと貯めて親の借金を返し、自由の身となりましたが、なかには返済のため、さらに「慰安婦」の募集に応じて戦地に行く例も少なくありませんでした。

 

このような遊郭での仕事に係る契約は以下のような構造を持っていました。すなわち、まず「芸妓稼業契約」が結ばれました。「芸妓稼業」とは、「歌舞音曲で興を助けること」です。この契約には通常「前借金契約」が伴っていました。「前借金契約」とは、芸妓稼業をさせ、その収入で借金の返済をさせる「金銭貸付(消費貸借)契約」です。さらにまた、「芸妓稼業契約」は通常貞操提供行為をさせる「娼妓契約」を伴い、多くの場合「前借金」の返済のための「身代(花代)分配契約」を伴っていました。これは、貞操提供行為の対価を分配する契約です。

 

裁判所(大審院)は、芸妓稼業契約が前借金契約を伴っている点について、債務履行(前借金の返済)を強制することで間接に個人の自由を束縛する点をとらえて、そのような場合の芸妓稼業契約は公序良俗に反するものとして無効としました(民法90[公序良俗に反する法律行為」により無効)。また、「娼妓身代(花代)分配契約」は貞操提供行為それ自体を公序良俗違反の契約として無効としました(民法90条により無効)。

 

  なお、内務省の統計によれば、日本内地の遊郭における娼妓の数は昭和10年頃には52000人程度で安定していました。昭和12年には49000人となり、昭和14年には39000人と減っています。逆に遊客の数は、二千万人台から三千万人台に増えています。昭和13年における東京の芸妓の数は13648、酌婦の数は6628、娼妓の数は7124、遊客の数は6175213名でした。遊客数は大阪が900万人台で全国一位でした。参考までに記せば、芸妓については、昭和14年における全国のその数は79908名です。この数はその前の各年度においても安定的なものでした。

 

 

(3)戦地・占領地における慰安婦

 

「慰安婦」に係る契約は、裁判所で争えば、通常「前借金契約」を伴う、戦地での貞操提供行為を内容とする「娼妓契約」であることから、それ自体が公序良俗違反の契約で無効であると考えられます。但し、戦場での兵士の強姦防止という目的との関係で当然に公序良俗違反の無効な契約とは言えないという抗弁は可能であったと考えられます。裁判所で争われない限りで「慰安婦」に係る契約は社会的に許容されうるものでしたから、新聞等での慰安婦募集も行われました。新聞広告の例には、「慰安婦大募集、年齢 17歳以上30歳まで、務め先 後方○○隊慰安所、月収 300円以上(前借3000円可)、募集人員 数十名」が知られています。日本において、このような「人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだす人身売買契約」が禁止されるのは昭和31年(1956年)の売春防止法の成立を待たなければなりませんでした。

 

  「慰安所」における慰安婦たちの生活については、近時様々な書籍、月刊誌の特集等があり、次第に実態が明らかになりつつありますが、写真とデータの豊富な水間政憲「ひと目でわかる慰安婦問題の真実」(PHP2014年)を挙げておきましょう。

 

   なお最後に、「従軍慰安婦強制連行」問題では朝鮮半島での慰安婦問題が焦点となっていますから、各地の慰安所を利用しえた昭和19年度徴兵制施行後の朝鮮半島出身の朝鮮人軍人の数(昭和20年終戦時)を挙げておきましょう。陸軍中将2名、少将1名、大佐2名ほか佐官25名、尉官200名を含む陸軍軍人186980名、海軍軍人22299名、陸海軍軍属154907名です。

 

(4)慰安婦は「性奴隷(Sex Slave)」か

 

 アメリカなどでは慰安婦は「性奴隷(Sex Slave)」であったという言説がみられます。すでに述べましたように、「慰安婦」となる婦女を「強制連行」して「奴隷」としたということになりますと、婦女を「誘拐し」、移送して慰安所に「監禁」して、暴行または脅迫を以て13歳以上の婦女を姦淫する(強姦)こととなります。それゆえ誘拐、監禁の行為に及んだ陸軍軍人は誘拐の罪と監禁の罪に問われますし、慰安所を利用した陸軍軍人は強姦の罪に問われることになります。将校であれ、下士官であれこれらの行為に及んでいるとすれば訴追されて、軍法会議で有罪となり、懲役刑等が科されることになります。多くの将校、下士官がそのような刑に服するとなれば、戦争を続行することに多大の障害が生ずることになりましょう。

 

    慰安婦が強制連行により「性奴隷(Sex Slave)」とされたという論理は、当時慰安婦制度が誘拐、監禁、強姦その他として刑法違反で訴追されたという事実もなく、募集から就業までの慰安婦の実態が奴隷といえるものではなかったことも明らかであり、到底成り立たつものではないと言わざるをえないでしょう。

 

    結局、合法的とはいえ今日の人権感覚からすれば慰安婦制度は悪であり、ただ、より大きな悪(強姦)を回避するための戦場と占領地における必要悪であったということになるのでしょうか。言うまでもなく売春防止法のある今日の日本で、将来予想される戦争において慰安婦制度を再度設置することは考えられません。かつての「陸軍刑法」におけるような管轄権に関する規定を新設し、刑法を能うる限り厳格に施行することになるのでしょう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。