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昭和天皇と杉浦重剛 日本近代史雑感(1) [日本の未来、経済、社会、法律]

宮内庁編『昭和天皇実録』(東京書籍 2015)第1巻、第2巻が出版されました。昭和天皇といえば、昭和20年(1945年)815日の「大東亜戦争」の終戦に係る「ご聖断」が最大のご事績でしょう。この「ご聖断」に関わっては、杉浦重剛のことが想起されます。

 

 明治憲法のもとでの立憲主義を厳格にお守りになられたご生涯の中でただ一度だけ、戦争継続を主張する陸軍大臣とポツダム宣言の受諾を容認するその他の大臣達の調整がつかず内閣が輔弼を行いえない状況のもとで、事実上の統治権の直接行使により同宣言を受諾せしめたのでした。このように、明治憲法のもとで立憲君主としての道を真摯に歩まれた昭和天皇に、そのあり方(帝王学)を東宮御学問所で倫理担当として七年間にわたりご進講申し上げたのが杉浦重剛でした。昭和天皇は若き日に学ばれたその「帝王の道」を一途に歩まれましたが、「ご聖断」はその実践の最大の場面であったと言えましょう。

 

大正3年から大正9年までを扱う「昭和天皇実録」第二巻には、東宮御学問所での昭和天皇に対する教育の実情が日誌形式で詳細に記載されています。その中で「日本中学校校長」という一介の教育者杉浦重剛のご進講した七年間二百数十回に亘る倫理学のことにも言及があります。杉浦重剛がご進講した倫理学がどのようなものであったのかは『倫理学御進講草案』(同草案刊行会 昭和11年)全1176頁で詳しく知ることができます。

 

 古川隆久『昭和天皇』(中公新書 2011)は、同書の分析から、「杉浦の天皇観・国家観」が「当時政府が認めていた天皇観・国家観」(その立場は伊藤博文『憲法義解』に依拠するものです。)とは「全く異なっている」と述べています。すなわち、前者は「天皇が統治するという日本の国のあり方は、個々の天皇の努力によって、国民を感化し、かつ国民からの支持を得」ることで続いてきたものであるとするのに対し、後者は建国の時から古今永遠に亘り「天皇の地位は絶対不変」とするものだからです。この点、しかしながら、明治憲法は、神聖にして侵すべからざる「万世一系」の天皇が大日本帝国を統治すると規定しており(1条、3条)、杉浦はこれらの明治憲法の規定を熟知した上でなお天皇の努力による国民の感化と国民からの支持を得ることの大事さを説いていたのではないでしょうか。杉浦が明治憲法の規定するところ(建国の時からの絶対不変)とは異なる考え方を有し、それゆえに政府との間に天皇観・国家観の違いを生じていたとは容易には考えられないことのように思われます。

 

学習院(院長 乃木希典大将)初等科を修了後進まれた東宮御学問所における帝王教育は次のようなものであったと藤樫準二『陛下の“人間”宣言』(同和書房 1946)は述べています。

「御学問所は東郷元帥が総裁として補導の重任に当たった。陛下はここで満七ヵ年、十六課目をご修得になったのである。その間、在野の名教育家天台道士杉浦重剛翁が倫理の進講に選ばれ、御学問所全科程の中心をなした。・・・老国士重剛翁は至誠一貫、全身全霊を王者の補導に惜しみなく捧げ尽したのである。翁を中心とする補導者の人達は至公至平、無私無欲ということを標準とした。従ってこのご学問所こそは『帝王学研鑽』の聖殿として、実に陛下の資性を磨き、知性と徳性を基礎づけ、満七ヵ年にわたり重い役割を果たしたのである。かくて陛下二十一歳の大正十年、欧州見学ののち摂政に就任され、初めて国務総攬の衝に当たられたのであった」。

著者の藤樫準二という方は毎日新聞記者で、宮内省詰記者二十五年の体験をもとに同書を書かれています(同書序による)。この記述で目を引くのは、杉浦重剛の倫理が御学問所全科程の中心をなし、補導者の人達は杉浦重剛を中心として帝王学の教授に当たったという叙述でしょう。明治憲法下の大日本帝国がいかに「帝王の徳」を基礎とする国であろうとするものであったかをうかがわせます。

 

「昭和天皇実録」第二巻663頁にはまた、いわゆる「宮中某重大事件」について十行に亘って叙述されています。その叙述からは、山県有朋の野望を打ち砕いた杉浦重剛の乾坤一滴の捨身の戦法の様子が生々しく伝わってきます。杉浦重剛にとっては、ここで退いては自らのご進講している帝王学が画餅と帰すとの強い危機感があったことでしょう。

 

杉浦重剛につきましては、その日本中学で学んだ一人に吉田茂元首相もいます。原彬久『吉田茂』(岩波新書)には、吉田茂が「国粋主義者杉浦重剛率いる日本中学で・・・薫染され・・・」た、「彼[杉浦]の儒教道徳と皇室崇拝が吉田に与えた影響は深大であ」った、「国体と教育の合一を目指す重剛の全人教育が、わずか一年間とはいえ、少年吉田茂にすぐれて『日本的なるもの』を覚醒させていったことは間違いない」といった叙述がみられます

 

こうしてみてきますと、杉浦重剛は、昭和天皇への倫理学のご進講などを通じて、近代日本の歴史における一定の欠くべからざる役割を担ったのであり、そのことの意義は看過されるべきものではないように思われます。



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