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日誌2016、2017 [日本の未来、経済、社会、法律]

   JapanLegalNews(JLN)を開設し、週一回は記事を載せようと思いましたが、到底そのようなことは不可能であることがわかりました。テーマの選定、ロジックの組み立て、基礎的データの収集、そして執筆という順序を踏もうとすると、常に寸断されている時間の流れの中では作業を継続することは不可能に近いものがあります。しかし、書きたいという衝動は常にあります。そこで、折にふれて知ったこと、感じたこと、メモで残したいことを日誌として数行でも書き残すということを考えつきました。いずれ一つ一つをきちんとした記事にしたいとの思いもあります。これならうまく行くことを願ってそれでは出発します。

2016年(平成28年)5月1日 日曜日 

日中外相会談 南シナ海巡り応酬 対北制裁履行は一致(読売新聞2016年5月1日)とあります。同紙見出しは「海洋問題中国に直言、「東シナ海」も提起、是々非々で対話継続、中国関係悪化は回避、「南シナ海」公式言及なし」と続けています。記事は、会談で中国外相は日中関係の改善に向けて日本に次の要求をしたと報じています。(1)歴史を直視・反省し、「一つの中国」政策を厳守する。(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」を広めない。(3)相互の正当な利益を尊重し対抗意識を捨てる。これらの要求には中国の対日認識と戦略が良く表れているように思えます。それぞれについて少しコメントしてみましょう。

  第一は(3)で、日本に中国に対する対抗意識を捨てるように要求しています。歴史をみますと、アジアの近代において日清戦争、満州事変、支那事変(昭和12年、昭和16年12月以降は大東亜戦争と呼称)の全期間において日本が主導権、有り体に言えば覇権を握っていました。戦後大分経ち、1990年代末あたりから中国は日本のEEZ限界での石油の採掘や尖閣諸島の領有権主張など日本に挑戦するようになりました。思想面では、このころから中国は歴史的中華思想に目覚め、自己愛に基づく選民意識で日本に対すようになりました。

 それで現在日中は、アジアにおいて覇権を競っている状態にあるといえましょう。それで、中国が日本に対抗意識を捨てるように要求するのはこの覇権争いの一環ということになりますが、中国が「強気」になっている背景は、一方でもっぱら日本の資金と技術で1980年代以降の改革開放を成功させ、経済力で日本に匹敵するようになったという自負心であり、またその経済力で過去十数年に亘り軍事力を強化させ軍事強国になったという自負心でありましょう。しかし他方、この強気の背景には中国が国内の発展の限界に突き当たっていて、残された道は最も「弱い環」のように見える海洋と陸続きの東南アジア地域に進出するしかないというせっぱ詰まった事情があるからだともいえましょう。この中国国内の発展の限界をもたらしているのは、これまでの経済発展が外資だのみで「内発性」に乏しく、また産業基盤たる大気、水、土壌の汚染が進み、これらを改善するために必要な技術と巨額の資金にもあてがないこと、さらに地勢的に北にロシア、南にインド、西にイスラム圏がありこれらを軍事力で突破する可能性がないこと、でしょう。これら(中小企業を育成せず、公害を防止せず、「弱い環」に軍事的に突進する。)のことから、中国が日本のような「内需主導型経済」を創出する可能性がほとんどないことにすでにみずから気づいていて、またその気もないことがわかりましょう。

  この覇権争いは今後とも止まるところを知らずでしょうが、圧倒的に日本に有利であるといえるでしょう。なぜなら第一に、日本は自身の戦力に加えて日米同盟によりアメリカの強大な軍事力により守られており、中国がこれに敵するものではまったくないからです。第二に軍事力以外ですが、日本はあらゆる国際条約を誠実に遵守しており、争いがある場合国際司法裁判所に判断をゆだねるという姿勢を一貫して取っており、国際社会における「法の支配」に服しているからです。第三は、日本が政治における「議会制民主主義」、経済における「社会的市場経済」を高度に発展させており、日本国憲法のもとで「基本的人権の保障」も高度に実現しているからです。日本はこれらにより、世界の大多数の国ぐに・国民から先進国として認められ、その圧倒的信頼を得ています。第二、第三は「覇権」というより、市民社会の成熟度における優越性の問題というべきかもしれません。

  第二は(1)で、「歴史の直視と反省」です。近代の日本は中国との間においても国際紛争を解決する手段としての「国権の発動たる戦争」(憲法9条1項)をたびたび行ってきましたが、現在の日中両国は1978年の「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」により確固たる平和友好関係を築いており、日本においては歴史の直視と反省に欠けるところはありません。同条約は、両国が恒久的な平和友好関係を発展させること誓ったと規定し(同条約1条)、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉(以上1条)、覇権主義の否定(2条)、経済関係及び文化関係の一層の発展のための努力(3条)を定めています。日中関係のあらゆる面での理想はここに集約されており、あとはその誠実な遵守のみが両国に課せられています。

  第三は(2)ですが、日本では基本的人権が高度に保障されており、メディアにおいても個人においても表現の自由とそれを担保する報道の自由は完全に自由です。これらの市民的自由の行使に日本国政府が干渉・介入するべきことは現在なにもありません。日本における各種報道は「日本脅威論」「日本経済衰退論」を含めて、賛否さまざまに行われ、相互に打消し合って、帰着するところは概ね真実を含む事実です。このような人権保障による精神的自由(学問の自由、思想・良心の自由、表現の自由など)の確保こそが日本経済発展の基礎であり、日本社会における文化発展の土台です。これらの人権保障について日本政府が干渉を試みることは「自由の否定」となり、「日本の国益」に反することになりましょう。この点、「中国脅威論」や「中国経済衰退論」を広めるなといった中国政府の要求は、基本的人権の保障とは権力の発動を縛るものであって、国民の自由を縛るものではないという「人権原理」についての無理解の点はひとまず置くとして、自国の国力や経済力についての自信のなさの表れのようにもみえ、そもそも日中平和友好条約で自ら約した内政不干渉の原則に反するものであることは言うを待たないところでしょう。

2016年(平成28年)5月2日 月曜日

京大准教授に対北制裁、核研究総連から奨励金、再入国禁止措置産経新聞2016年5月2日)

 この報道には驚きました。また、京大までもという思いと非常な恐怖心もいだきました。北朝鮮の対日核攻撃があるとしたら東京中心部と関東駐留米軍基地に対してであることは火をみるよりも明らかであり、北朝鮮は、かつてのアメリカが広島と長崎に三日と空けずに原爆を投下したように、躊躇することなく核攻撃を仕掛けるに違いないからです。自衛隊のパトリオットミサイルが迎撃したとしても、すべてを打ち落とすことはできないように思えます。

 この京大准教授は原子力学が専門で、同大で中核的研究者として知られているとあります。同準教授の属する京大原理炉実験所のホームページを見ますと、その研究分野には原爆製造に直接間接に関わる原子力研究も含まれているようです。

 日本政府の「対北朝鮮独自制裁」は、制裁内容においては「在日外国人の核・ミサイル技術者の北朝鮮を渡航先とする再入国を禁ずる」ものであり、制裁措置既適用対象者は「朝鮮総連幹部らと傘下の在日朝鮮人科学技術協会構成員5人を含む計22人」です(同紙記事解説欄)。この22人中には原子力だけでなくロケットの研究者も含まれていることでしょう。

 北朝鮮の核兵器開発と長距離弾道ミサイル開発は、これまでの核実験や弾道ミサイル発射実験の新聞等報道からみますと完成の一歩手前にあるようです。北朝鮮の核兵器開発について驚愕を覚えるのは、これが核攻撃の最大の被害国となる日本の「マッチ・ポンプ」であったという事実です。日本の技術で日本が攻撃されるという最悪のシナリオです。

 日本の現実は今や、従来からの北のロシアの脅威、近時の南の中国からの脅威、そして今や西の北朝鮮からの脅威という三方からの切迫した脅威に曝されているという、幕末薩英戦争時、日露戦争時、対米英戦争時にも匹敵する「国難」の時を迎えているのではないでしょうか。この状態の10年後、20年後の姿を憂いずにはいられません。それで、今からでも遅くはないと思いますから、大学・研究機関、そして企業の研究部門においても「対北朝鮮独自制裁」対象「予備軍」の調査をおこない、対応(不正競争防止法違反の発見など)を真剣に考える時ではないでしょうか。このような用心深い対応は北朝鮮に限るものでないことは言うまでもないでしょう。

2017年(平成29年)7月24日

加計学園獣医学部新設安倍総理「首相のご意向」反映問題、衆院予算委員会閉会中審査

  加計学園の獣医学部新設問題の衆院閉会中審査がテレビで中継されています。民進党の議員が安倍首相の「ご意向」が新設に当たり影響したのではないかとの点について安倍首相に質しています。

 この問題はこれまで長い時間をかけて繰り返し議論されていますが、ご意向が働いたとも働かないともはっきりとした結論の出ないまま本日(2017年7月24日)もいわば「灰色の展開」が続いています。

 この問題に黒白をつけるには、議論が「首相の行為の法令違反に係る違法性」の有無をめぐってのものであることを与野党間で確認し、その進め方については次のステップを踏むべきではないでしょうか。第一は、議論の根拠となる「証拠」を確定させることです。様々な証拠について「証拠能力」があると認められるためには、その証拠についての「反対尋問cross examination」を経ていることが必要です。具体的には、様々に存在している書類について、文科省に残っている書類について相応する書類(同一文書)が内閣府においても存在しているもののみが「証拠能力」を獲得することができるということになるでしょう。一方においてしか存在しない書類はその内容について相手方の「承認」を得ていない、証拠価値の低い単なる参考資料にとどまるものということになるでしょう。

 第二に、安倍首相の「ご意向」が加計学園獣医学部新設に働いたと言いうるには、国家戦略特区諮問会議に同学部新設案が上程され、議論が行われて、最後に承認されたという一連のプロセスが明らかにされる必要がありましょう。安倍首相の意向があったというなら、同諮問会議の民間から選出された委員を含む委員間の議論と決定のプロセスに首相の意向が反映されたことの具体的証明がなされることが必要です。特に、民間から選出された委員が自由・自主性を持った議論をなしえなかったことの個別具体的な立証が必要となりましょう。

 この問題に興味を持ちつつも、現在の日本国には国家・国民の安全保障と日本経済の再活性化のための総合戦略の立案という喫緊の課題があることを考えますと、国会議員諸氏のエネルギーの向けどころが違うのではないかとの違和感を禁じえません。 加計問題を早急に処理し、必要なら問題を司直の手にゆだねていただきたいと思います。そして、衆参両院のエネルギーを日本国の国益に係る問題に注力していただくことを願わずにはいられません。


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